世の中の弱者に対する「レッテル張り」って酷いなあって思いますよ。
陰謀論を信じてる人、ワクチンを打たない人は低学歴で貧乏人とか、そういうこと言う専門家がいるって話は前に書きました。
これ、単なる差別です。
つまり不合理な区別、ですね。
そういう専門家こそ実はかなりヤバイんですが、なかなか世の中の人は口にしないねって話。
自分が多数派にいることの安心感を少数派を蹴落としてでも得たいということなのかもしれません。
10代の子供ならわかりますが、大人がやることではありません。
いや、単に専門家ってだけで、無意識にリスペクトしちゃう可能性もありますね。
とすれば、日本はまだまだ古臭い権威主義の世の中なのかもしれません。
先日の元首相暗殺事件でも「幼少期に不幸な人生を歩むと心がゆがんで犯罪を犯す」みたいな単純すぎる公式を当てはめてくる専門家もいました。
専門家というのは僕がちょいちょい引き合いに出す、(犯罪)心理学者や脳科学者です。
ていうか、あの方々は専門家というか、もはやタレントですけどね。苦笑
僕は、心理学者や脳科学者がテレビに出るにつけ「専門家のくせにおかしなこと無責任に言ってるよな」っていつも思うのです。
が、やっぱり同じことを考えてる人はたくさんいたようです。
「専門家」のコメントの中にも、「不遇な幼少時代を過ごした人たちは、『歪んだ特権意識』を持つようになりがち」(精神科医)、「幼稚なまま育ってしまったマザコン」(弁護士)といった見方もあり、犯罪心理学が専門の原田隆之・筑波大教授は、「まだわからないことも多い中で、『専門家』を名乗る人たちの断定的な『診断』が、マスメディアの作ったストーリーに沿って流れることに危機感を覚える」
各種の凶悪犯罪があると必ず犯人の過去が報道されます。
幼少期から万引きや乱暴を繰り返し、暴走族、反社などに加わっていたり、窃盗や性犯罪の過去であればわかります。
このような犯罪を犯してきた過去があって、なお罪を犯すなら、それはキッチリ報道して猛省を促す必要があります。
もちろん犯罪歴のある人への偏見につながるのではないかという主張もあることは知ってます。
確かに、軽微なものであれば報道する必要はないと思いますが、重罪であれば報道すべきだし、それを犯した人が偏見を持たれるのは止むを得ないと僕は思ってます。
(逆に言えば、元暴走族や元反社が更生しただけで美談に仕立てて視聴率稼ぐのはおかしいという考え方でもあります。更生するのが普通だから。)
が、そういう悪いことをした過去ではなくて、虐待された過去、いじめられていた過去、そういった辛い過去を報道する意味が分からんのです。
これって偏見を助長するだけだって思いません?
しかも、「それらの苦しい過去があったから心がひねくれて犯罪を犯すのだ」という、専門家の分析やマスコミの持って行き方って超・悪質です。
ただただ、ストーリーとして面白いから、視聴者の共感を得やすいからというだけで、そう持って行きたいわけですからね。
しかし、それらは犯罪ではないし、なにより、そういう不幸な過去を持った人でも多くの人がまっとうに生きているのです。
テレビに出てくる専門家は引用した記事に書かれている通り、狙ってるのかなんなのか、絶対にマスコミ受けすることを言います。
このコロナ禍でもそうですし、いつだってそうです。
こういった無責任な専門家のテキトープロファイリングなど百害あって一利なしです。
なぜなら、何気なくテレビを見てる人は、専門家の意見を完全に受け売りしちゃうからです。
いや、これが一番困ります。
なぜなら、犯人と似たような経歴の人は、犯罪を犯すかもしれないと本気で思っちゃう人がいるからです。
これ、ホントにいるんですよ……。
過去の不幸でなくとも、オウムがサリンでテロ起こした時は、恵まれた環境で育った高学歴の人ほどカルト宗教にハマるとか言ってた専門家もいましたけどね。
どっちにしろ世の中の多くの人ってのは、こういうバカみたいな単純な理論やプロファイリングでも、テレビで放送すれば本気で信じちゃうわけです……。
さらに、こういうテレビに出てくる心理学者・脳科学者信者が増えると、僕のように辛い20代を過ごした人なんかも「いい迷惑」で肩身が狭いわけです。
幼少期に貧しくて、学費払えなくて大学中退、自衛隊で働いたり、倉庫で働いたり職を度々変えて……等、僕も少々経歴似てますけど、そんな人、いっぱいいますからね。
実際、過去に出会った作家や芸人目指してた人とか、そういう人ばっかりでしたからね! 笑
社会を知らない世間知らず専門家のプロファイリングだからこそ、こういう人たちがいるってことを知らないのかなって思っちゃいますね。
しかし、貧乏と苦労と不幸を知ってるからこそ、弱者の目線が持てるし、つまり、違う方向から物事にアプローチすることができるわけです。
今まで困難を背負ってきたからこそ、他人を酷い目に遭わせたくないと思うわけです。
そして利益ばかりを追求する社会や組織に「おかしい」と勇気をもって言えるようになれたりもします。
当たり前ですが、貧乏と苦労と不幸を知ってるのに、犯罪を犯すような人間は、ごく一部なのです。
結局、「偏見」を持って生きるってことは事実を見れないってことですから、本当に大切なものを得られないということにつながります。
そこからさらに自らの「偏見」をバラまけば世の中はますます悪くなります。
最初に書きましたが、このような「偏見」ってのは「非論理的区別」、つまり、ただの不合理で自分勝手な「差別」です。
これはつまりこれからますます時代に取り残されていくだろう差別主義者の考え方でしかありません。